曲間の無音に その1

先週は、泉主催のBeatles Session Meetingで”A Hard Day’s Night”から普段はあまりやらない曲をやって、あらためてしょっちゅうやりたいという気持ちになったりしていると、Princeの訃報が飛びこんできた。

天才だから、人によって彼から受け取っていたものは様々だったろう。人によっては、抱え切れないほど宿題を課された気にもなったろう。

泉はかつては天才は苦手であると公称していて、そんなわけでPrinceはなるべく避けていた時期が長かった。あらためてやはり聴いていかないと、と開きなおれてから十年もたっていないかも。

今まとまって何かいうことはとてもできないけれど、おそらくある程度答が見えたとしても、また新たな課題を出されるだろうことを見こした上で、今の宿題はいわば「謎のハーモニーと歪んだギター」の課題の二つ、となる気がしている。

その同じ週の間に、こんどはBeyoncéが”LEMONADE”なる新作を発表するニュース。

何か呼び合うよう動きのような気もしてしまい、Destiny’s Childの音源を聴いてるうちに、そういえばこの人はAutoTuneは使わないんだろうか?と思いあたる。

ここのところ、アフリカや中南米のポップスを結構聴いてるのだが、予想外なことにAutoTune度数がえらく高い気がした。
独特のコブシが魅力の一つであるように思えるジャンルの歌が、いともあっけらかんという感じでAutoTune化されてる?
という事態にちょっとうろたえていたのだが、そういえば、AutoTuneを疑われるとすれば、まさにBeyoncéあたりがふさわしかろうというわけである。

結論からいうと、彼女はAutoTune使わないらしいのだけど、使わないからこその個性と単純に済ますにはどうも情勢は進化(退化?)してるのかもしれないという気はする。資本主義とテクノロジー、かつてのワールドミュージックの舞台を変えていっているであろうそれは、まさにその中心にいるBeyoncéのような人にとっても切迫した圧力であろうと思われるのだが。

Beyoncéの天才のうちには、かねがね(なんというか適切な言葉かどうかだが)オーガナイズの能力もある気がしているだけになおさら、その意味でこいつのことは少し情報を、という感じでTony Maseratiという名前もピックアップされてくる。

というように、曲間を過ごしているとさらにPapa Wembaの訃報。

いわゆるワールド・ミュージックに分類されるような音楽をまた聴くようになって、Salif KeitaやYoussou N’Dourの名前はすぐに思いだしたけれど、もっといたよなあ、と思っているうちに訃報で思いだすことになった。

この人もまた聴きなおさないと。

というわけで繋がっているようないないような。
いかん、また「続きを読む」を使うのを忘れた。